True Selfとは、定義と未定義の両方を含んだあなた自身の「在り方」のこと
最近、またラーの資料をあれこれ読んだり、動画を見たり、音声を聞いたりしています。
そこで、とても腑に落ちた内容があったので、そのことについて書いてみます。
「True Self」「Not Self」の定義について。ここは、日本のヒューマンデザイン界で勘違いされているなぁって思うところの一つです。
チャネルとか、センターとか、色のついている(=定義されているところ)が、正しく使えていたら「True Self」で、白いところでのマインドの声で動いていたら「Not Self」という風に、みなさん、学んでこられたと思います。だから、白い部分はなるべく関わらないようにしょうとか、マインドで決めないように自分を監視して、自分はTrue Selfでいられるようにしよう! っていう感じに受け取っていらっしゃる方が多いと思うんです。
ですが、BG5では、True Self か Not Self か、という表現はしていません。ラーの教えとして、「シャドー(白いところからるくマインドの声)」をなくそうとするのではなく、「シャドーへの無知をなくす」ようにしましょう、と伝えています。
つまり、シャドーが出てきたら、「あ、これがシャドーか」と氣付くことが、まず第一歩です。そうやって、自分の正しい意思決定を、シャドーに邪魔されないようにして、自分にとって正しい意思決定をやっていくと、これまでシャドーだった未定義の部分が、知恵にかわるんです。 この部分は、最初の段階でお伝えしています。
BG5では、定義付けの部分は、「健康か不健康かで発信」していて、未定義の部分は「シャドーになるか知恵になるか」という表現をしていて、その全体があなたです、と伝えいています。・・・これ、ほんと、ヒューマンデザインの基礎なんですけど、日本では、ここが理解されてない感じがするんです。だから、変なことになっていくんですよね。
マインドで決断していたら、どんなに高尚に思える決断も、すべて、「Not Self」の決断です。ヒューマンデザインは、道徳ではありませんので。(そもそも、あってるか間違っているか、正しいかどうか、自分の決断について判断している時点で「マインド」ですよね。)
つまり「True Self」かどうかは、正しく意思決定をしたことの結果なのですが、それをはかる指針が、ヒューマンデザインでいう、「シグネチャー」(満足、成功、平和、驚き)なんですよ。で、「True Self」も「Not Self」も、定義付けの部分と未定義の部分がすべて「あなた全体」として表現されるわけです。「半分だけ True Self」っていうのは、ないんですよ。ただ、私たちは、常に、両方を行ったり来たりしています。その偏り方が変わってくるのですよね。
あと、「Not Selfのマインドの声」は、なくならないですからね。
「True Self」になれば、マインドの声が消えると思っている人がいたら、それは間違いです。どれだけ条件付けが外れても、マインドの声は、ずっと、ありますし、巧妙に隠れていたりします。
ラーは、「7年サイクルを3回過ぎても、まだ、怒ることはある」と言っていました。「ただ、昔との違いは、怒っている時間が短くなった」と。私もそんな感じです。
ラーは、「定義付けは、あなたの一部。定義と未定義の両方を含めた全体性が、私たちの生命/人生(LIFE)だ」と言っています。
私たちには、かならず、白い部分があります。そこは、「知恵の可能性の宝庫」なのです。
ですから、まったく同じチャートであっても、まったく同じ人間にはならないのです。
ある人が True Self かどうかを判断するのは、その人が、タイプの「シグネチャー」(満足、成功、平和、驚き)を味わっているかどうか、です。で、それは、周りからもわかりますよね(^^)
ちょっとラーの講義録を読んで、シェアしたくなったので、書きました。
読んでくださってありがとうございます!